おばけたまにっき

たまに更新されるDJ Obakeのブログ。

「山を登ろう、その2」の巻

 

山を登ろう。これは基本中の基本、独りでの登山は、どんなベテランでも危険だ。あまりお勧めしない。少なくともふたりで登ろう。誰でもいい、誘おう。

 

話がちょっと脇にそれるけれど、思うに、現代人は誰も彼も生き方がマイペース過ぎる。自分の速度しか意識していないように見える。「ちょっと待って、私は本当はもっとゆっくり生きたいのだ、仕事(や学校やバイトや家事や育児)が課してくる全てをこなすためにあくせくしているだけなのだ!」と、言いたいのもよくわかります。ぼくだってそうです。でも、その結果、それぞれのペースはそれぞれのまま、なのではないでしょうか。

 

さて、ふたりで登ろう。ひとりは早いし、ひとりは遅いかもしれない、それはよくあること。大事なのはペースを合わせること。歩調を揃えて。

言うまでもなく、遅いひとりが、がんばって速度を上げて、早い方に合わせるのはよろしくない。そんなことをすれば、いずれ無理がたたって体力が尽きて危険なことくらい、誰にだって分かるでしょう。かと言って、早いひとりが、遅い方に過度に合わせてしまうのも、これはこれで良くない。あんまりグズグズしていたら日が暮れてしまうし、日没は山では命取りなのだから。

ひとりがもう一方に合わせるのではない、ふたりのペース、を見つけるのだ。すぐには分からないだろう。お互いが少しずつ調整しあって、それはようやく見つかる。お互いの歩調に、よく注意を凝らす必要がある。それとなく、気遣うのだ。

 

時には早いものが、遅い方の手を引く場面もあるだろう。あるいは遅いものが、早い方の背を押すべき場面にも遭うだろう。ひとりではないから、それがふたりのペースだ。

 

山を登るというのは、実のところまったくもって孤独な営為で、それは何人で登山しようが変わらない。自分の足で、自らの肉体を重力に逆らって上へ上へと持ち上げていく。頼りになるのは自分の身体だけだ。険しい山ではヘリコプターだって容易には近づけないのだから、もしも怪我でもすれば、救急隊に担がれる他ないだろう。

だから高みに近づけば近づくほど、誰もが痛感せざるをえない。自分は自分の意志でここまで来たのだ、と。自分がそこに立っていられるのは、自分の力でもって成し得たことなのだから。

 

ふたりは、やがて山頂に上り詰める。何が待っているだろう? 何が見える?

そこで見ることができる景色は、自らの力でそこまで歩いて来たものにしか、見ることのできないものだ。そしてそれを分かち合えるのは、歩調を合わせたもの同士、だけなのである。

 

でもきっとあなたは言うだろう、「ちょっと待って、毎日忙しくって、山なんて登ってられないよ!」って。そんな場合は、少しの間だけ、近くばかり見るのをやめてみよう。遠く、遥か山の頂を眺めよう。誰だって、自分の中に、いつか登り始めた山くらい持っているのだから。